2019年12月15日
林道巡り:わさびの有東木を訪ねて

※今回のキーワードは‟山葵”! :以下は.. 現役リタイヤの2003~2012年頃、水を得た魚の様に駆け回った迷走の記録です
水を得た.. と云ってもそれは昔の話.. やんちゃ爺とて高齢化.. 現有のFFミニバンじゃ..昔のようには走り込めず..
いきおい昔の走りが無性に懐かしくなって..撮り貯めた記録をめくって郷愁に浸って.. 印象に残る走りを..UPする事にしました!
行先も.. 名も知らぬ秘境?迷走..といっても、少しは知れている所でないと..興味を持って頂けないので見える化?重視(^^ゞ
NO2は、もしかしたら聞いた事がある.. 静岡市の山間の集落..《有東木》と.. ご存じの山葵..題して《わさびの里》をご紹介します
《有東木》って地名..ご存じでしょうか? 実は《山葵発祥の地》なんです.. マイナーながら神秘な わさびの里《うつろぎ》という粋な
スポットもあるのですが(^^ゞ
ここが今回の目的地.. 市街地から安部川沿いに有東木まで..坂道はあるけど舗装路なので、普通のFF車で問題なく走れます!

実は.. 去年食べ損ねた「わさび葉の天ぷらそば」が食べたくなって、1年ぶりの《うつろぎ》は、なにも変わっていなかった(^^ゞ
:静岡市は、安部川沿いの山奥!わさび発祥の地という《有東木》を訪ねてみました・・ 山の奥に深くにひっそりとたたずむ集落・・
静岡市街地から 安部川に沿って県道27号線から29号沿いに北上する事、およそ30Km 「渡本」という集落から右に分岐して
山道を登ってさらに約3Km、、となにか遠そうですが、少し登ったこの位置、後2.2Kmとあります、もうちょっとです・・
案外あっさりと、行けちゃいました・・
誤解されていますが、わさびの発祥地!は伊豆ではなく、ここ有東木が原点で、苗が持ち出されて..最初に外部に伝えられた
のが伊豆の天城地方です。

写真の右下手前はお茶畑、沢を挟んだ両側はわさび田です、こんな風に同居?は珍しいですね、黒いメッシュは日よけです

前に到着します、
ここには「有東木橋」と言うバス停があり静岡駅から約50分で来られるそうです。
今風に言えば、静岡市街地へも通勤圏内.. ですね?

うんちくがあります、!(^^)!
「うつろぎ」では地元のお茶や山葵、農産物を販売しています。地元食材を使って有東木のお母さんたちが作るうつろぎ定食、
わさび漬け、金山寺味噌やわさびのり、お饅頭が人気です。
お母さんたちの温かいおもてなしのファンになり、元気をもらいに何度も訪れる人が急増中!
標高600mほどにある有東木地区。 地元の皆さんが「宝」と呼ぶ清流が、山葵田や茶畑を育んでいます。
有東木は山葵栽培発祥の地であり、1607年に徳川家康に献上された記録もあり、その栽培には長い歴史があります。

沢沿いにわさび田そしてテーブルが並んでいて、暖かい日はこっちで、手打ちそば!もいいもんですが、この日は寒いので
お店に入り込んでしまった(^^)

お店の中で、わさび特産地ならではの産品を一通り覗いて、まずは腹ごしらえ!
おっ家内どのはお店のおばさんと話し込んで、特産のわさび漬け3種はもちろん、珍しいわさびの花や茎葉、それに
ちゃっかり、好物のお饅頭まで仕込んできた、さっすがー、わさび花入りのわさび漬けでも作るつもりらしい!(^^)!

なんと! こんなに大きな葉っぱが出てきた!いささかびっくり、記念にパチリ! それにしても器を覆い隠す巨大さには驚いた・・
さすが、素朴な手打ちそばは美味しかったけど! わさびの葉っぱの天ぷらも、ピリッと辛くて美味しかったよ(^^♪
見知らぬ地では、地元の方との出逢いが楽しみ.. 珍しいお話を聞くのが楽しくて、ついつい長話!おっ家内どのの18番かな~
とかなんとか云いいながら、1時間ほど遊んでこの先の梅ヶ島まで行って安部峠の様子を聞いて帰る事にして、店の表を散策!

沢に沿ってわさび田のモデルや水車小屋等の見所があって、必見?の散策ポイントです!

山葵栽培の歴史を辿るのに格好の内容です、写真では少々見辛いし、せっかくの山葵散策ですから全文転記しました。
:記念碑建立について (原文通り転記:但しWeb横書き用に適宜修正)
山葵栽培は今からさかのぼること、約四百年の昔、慶長年間に有東木沢の源流である「山葵山」に自生していたものをある時、村人が採集して村内の井戸頭という湧水地に栽培した
ところ、これが適地であり成長繁殖した。そこで村人達がこぞって栽培を試み、やがて栽培法は各地に広められたので、ここ有東木を山葵栽培発祥の地と言う。
慶長12年7月(1607)駿府城に入城した大御所徳川家康公に山葵を献上したところその珍味の程に天下の逸品と嘉賞し、ついに有東木から門外不出の御法度品とした。
また徳川家の家紋が葵の紋であったことから、ことさら珍重したと言われている。
延享元年(1744)三島の代官斉藤喜六郎の命を受けた伊豆天城の住人板垣勘四郎が椎茸栽培の師としてこの地に派遣された。任務を終えた板垣は帰国に際し、庄屋が弁当籠に
忍ばせた山葵の苗を密かに持ち帰り栽培したのが伊豆の山葵栽培の始まりと言われており、山葵関係者の語り草となっている。
明治10年、有東木山葵の先覚者、望月重太郎の東京での 内国博覧会入賞は安倍での山葵栽培を広める契機となり、更に昭和23年頃から普及した 畳石式田床改良及び栽培技術
の開発により質量ともに向上し、安倍山葵の名声は益々高まった。
今日に至るまでには、元禄16年(1703)及び享保5年(1720)の大洪水をはじめ幾多の台風災害等自然災害の暴威にさらされた。しかし、その都度全力を傾注し山葵栽培の伝統を
守るべく、復旧に尽力した住民や石工達の労苦を忘れることはできない。
時は流れ、ここに改めて先人達の遺徳を忍び、特産品「山葵」に対する感謝の念を後世に伝えるべく平成の改元を期してこの記念碑を建立するものである。
平成四年三月八日 山葵栽培発祥之碑建設委員会

七十戸あまりの小さな集落だけど、見どころいっぱい.. 案内図を頼りに:東雲寺や:白髭神社などを巡ってみました(^^♪

前回はここに座って、お弁当を開いてお腹の虫をなだめたっけ(^^♪
そうそう、有東木集落の中心は、こんな具合に、東西2つの沢に囲まれて結集している、現在戸数は七十戸程だそうです、

も使う)で囲まれています、
ここはオープン?わさび田・・水量が豊富でまるで滝みたいな沢の周囲に、こんな具合に「わさび棚田」? が密集してる!




移って、、あちこちと歩き過ぎてしまった・・ 後が怖いぞ?
集落の守護神、白髭神社にも立ち寄ってみまた、大きな杉の木が印象的、境内に十本ほどあるそうです、密集して林立..
とにかくデカくて太い!

もっともあちらは有名な山住杉の:スギ二本樹齢も1300年、根周り10.5mじゃ、、無理ないか? 2本だけだけどね・・

かなり上まで車で行ける、葵高原と言う平地に出た、

ここは元々甲斐との国境、安部の金山がらみで、古くから往来があったと言う・・
地蔵峠や十枚山、青笹山へと選り取りみどりのコースがあって地元ハイカー諸氏のメッカにもなっている様ですね(^^♪

例によって..細い林道(実は登山道)一本一本に首を突っ込んで拙攻.. 行き止まりまで行って、Uターン不可で悪戦苦闘
もっとも、その場面のために、車長の短いオッターを選んで..バックカメラも付けたんだけど..
それでも、落差が大きい荒れた路面じゃ.. 全転回は難しい! 仕方がないからフル..バック(汗).. これも難儀な事で(^^;

でも こんなに大きな落石があると・・ 背筋が?寒くなって来た.. 上のマップのX印の辺りです、さすがに健脚自慢のオッター
も、こんな大きな落石じゃ打つ手なし!
(画像は前回散策時のもの)

という事で、この後まもなく行き止まり!途中で小鳥を待って撮影しているカメラマン氏に会った、いつもの通り声をかけて
いろいろとお話を聞かせて頂いて、今日の散策はお終いっと! そそこさと下山した、今回の道中、往復で約100Kmなり
そうだ、今回はビデオカメラも同道!試験撮影を、最近はレポが多く写真もいいが、ビデオ画像の方が適しているのでは?
と・と・それがー!自宅で見たら目が回る・・ 慣れないせいか振り回しすぎ? 気をつけていたんだけどー!修行 修行!
(画像は前回散策時のもの)

今年も5月以降で開通されるかどうか? 残念だなー! 安部峠の見事な桜をめでつつこっちから、山梨へ抜けてみたい
のに、未だに果たせず・・
という事で、空模様も怪しくなってきたのでここで引き返した、例に依って、初めての林道に頭を突っみ突っこみながらの帰途!
手あたり次第に走り込んで.. 探索三昧!.. 行き止まり覚悟で車首を向けて駆け込む.. 未知の自然を浴びて探検&遊ぶこと?これがめっぽう楽しく面白くて病みつきに..(^^ゞ
リタイヤ直後なので、暇に任せて走り込み.. 森林浴を謳歌していた 時期だった!嬉しい事に.. 常におっ家内どのが、お弁当作って.. 同道してくれた、名目は山菜取り?だけど
実はていの良い監視役かも.. もう一度行け!と言われても.. 現有のミニバンじゃ走破出来る自信は無いが :幸い大半の山行きはスナップ撮影..HPやブログ等に記録していた
ので、リアルにプレイバック!OK..です(^^♪
Posted by あんせる at 19:20│Comments(0)
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