東海道本線:石部/磯浜トンネルの解

あんせる

2019年10月30日 21:50

歴史散策 :旧東海道 :第九回目 番外 寄り道編.. 題して.. 《石部/磯浜トンネルの解》 出会ったトンネルで 原風景を見た?
:前編の《石部/磯浜トンネルの謎》は、思いがけない出会いに助けられ! 思わぬ展開をみせて.. 一気に解けました(^^ゞ 
かれこれ 50年ぶりの再会!と汗だくで現地を歩き回り在住の方に聞き込み&市役所、図書館など調査した..結果報告です

こちらが今回の主人公!「石部/磯浜トンネル」(現在の石部トンネル):焼津側 小浜坑門は蒸気機関車の煙で黒くすすけた
そのお姿は、周りが無造作に 鉄柱だらけ!になった他は 明治22年の竣工当時と さほど変わっていない様ですが・・・T_T
反対側:大崩側の石部トンネル坑門は 大変な事になっていた..なんと!無残に崩壊して大崩(磯浜)海岸へ崩落していた!

《記事は自己転載ですが.. 下の アニメ画像をクリックして、オリジナル記事【撮り撮り日紀】へジャンプ.. ご覧頂けます》


実は、この写真を撮った後に、新たな崩落が起こり、かろうじて残っていた、上り線側の石部坑門も 崩落しちゃった


磯浜トンネル小浜坑門 痛々しい石部坑門 石部坑門バッフル板? 石部坑門と海上橋遠景


崩壊直後の石部坑門 大崩れ海岸を疾走するSL 石部坑門磯浜側 道路になった線路敷!


海上橋方面&遠目の石部坑門 磯浜坑門の位置? 路線敷西端 磯浜坑門が埋まってる?

暑い日だった.. 獣道伝いに現地に降りて..何と! その壮絶な光景に..唖然として、言葉を失って立ちつくした!
過って、日本の大動脈として大活躍していた 東海道本線の、このトンネル.. 本線部分は回収されて安泰なれど
崩落続きとは言え.. 廃棄された磯浜の4つの坑門、中でも石部トンネルの磯浜側の上下線の坑門の悲惨な事..
ありし姿を想像できないほど荒廃して..余りにも哀れだ..

更に2007年5月、またしても崩落が起こり、かろうじて残っていた石部坑門の面影は完全に失われてしまった!
崩落の報を聞いて..飛んで現地入りして撮影&レポ..こちらに記録していますので、合わせてご覧ください(^^;

しかし実在する筈の磯浜トンネル 石部側坑門2つは、記録の場所をしっかり探すも.. 見つけられなかった(^^;

※急ぎ閲覧の向きは 関連情報をこちらで..また本件総集編を兼ねて..こちら《街道で出会ったトンネルたち》及び
《大崩れあのトンネルは今》 最近の崩落..《大崩れのあのトンネルが崩壊》へ、直行してご覧くださいませ(^^ゞ

なお、全ての文中の記述で 国道150号線は、時代の変遷で.. 現在は県道416号線と呼称が変わっています!
※以下は、自前のホームページ《写真機の森》の立ち上げ当時に併設した :拙作ブログ撮り撮り日紀からの転載です(^^♪

旧東海道 :第九回目 街道のトンネルに原風景を見た? (石部/磯浜トンネル編) 50年ぶりの再会!の 巻きかもで!
:前編の「石部/磯浜トンネルの謎」は、思わぬ展開をみせ!一気に解けました・・・ 思いがけない出会いに助けられて! 

これが今回の主人公!「旧磯浜トンネル」(現在の石部トンネル)焼津側:小浜坑門です、蒸気機関車の煙で黒くすすけた
坑門の姿は、明治22年の竣工当時とさほど変わっていないようです・・・ 周りが無造作に!柱だらけになった他は・・・
<<画像はクリックすると大きい画像が見られます>>

前編の謎の答え:磯浜~石部トンネルの線路敷道路はアイオン台風の被害での”坑門崩落後も引き続き往来出来た!”
つまり、東海道本線が日本坂トンネルへ移った昭和19年からまた戻ってくる昭和37年までの18年間!旧線の線路敷を
使ったこの道路!「石部坑門の崩落」による通行止め等はなくその後も自由に往来出来た・・・ 当然!筆者も何の問題も
なく通リ抜けられたはず”であった!! なにしろ50年も昔・・・ ここから車で進入して・静岡側へ抜けたのですから

何が謎?や、お話の背景などは恐縮ですが、前編「磯浜トンネルの謎」編を御覧下さい! 問題のトンネルの場所はここ
:現在の名前は東海道本線「石部トンネル」です、地図上では「1本」ですが、上下線が別々で並行して2本あり
ます・・・

竣工当時からの静岡側(石部)と焼津側(小浜)の両坑門は残され、海岸寄沿いにあった、石部と磯浜の坑門は共に廃棄
されました・・・ これをバイパスするルートで、残の部分を約160mほど山側に掘り直さして継ぎ目なしの1本!(複線)と
して、現在も現役で活躍しています。

謎解きのきっかけは、この件であれこれと調べて回っている内に、焼津市の「市史編さん室」に出会った事! 親切な編さ
ん委員の方のアドバイスを皮切りに、次々に有力情報が見つかって・・・

1)写真発見 :焼津市「市制五十周年記念写真集」『やきつべ』(市史編さん室編さん/発行)の中で:磯浜トンネルを出て
疾走する蒸気機関車!:崩壊前の石部トンネル2つの坑門!:磯浜側から見た両トンネル間の風景!:崩壊後の石部の
海側坑門!など・・ 数点の貴重な写真を発見した!! これが決定的な状況資料になりました!

2)重要人物 :発見した写真を頼りに現地を歩き回って、願ってもない人物に遭遇! なんとなんと!当時から現地に
お住いになって居られる方にお会い出来て・・・ 当時の詳しいお話をふんだんに伺う事が出来ました!

1枚目の写真!「磯浜トンネル」を出て疾走する上り列車です! 上の写真と反対側の位置です・・でも撮影はずっと昔で
複線化が完成した、明治44年以降の写真です! 今となっては幻の磯浜トンネルの写真は貴重中の貴重な写真!

(写真集 『やきつべ』より:大崩海岸を走る蒸気機関車:明治末期 萩原昌明氏蔵(写真ハガキより))
2枚目は、な・なんと!石部トンネル坑門・・・ もちろん磯浜側です・・ うわっ!ボンネットバスが走っている・・
別の情報でも当時ここを私鉄(静岡鉄道)の路線バスが走っていたはず、ともいう情報もあったので、これはしたり!

これこそ捜し求めた1枚です・・・ 2つ並んだ坑門・・ 後に崩落する海側の坑門もまだ健在!しかも杭柵で通行が遮断
されているのが分る!また山側の上りトンネル坑門だけに「わだち」があって!上り線側だけ”で往来していた事も分る、
後に海側坑門が崩壊してもこれなら往来は続けられたに違いない・・・

(写真集 『やきつべ』より:旧線路敷を走るバス:石田勇氏撮影) ※注 『やきつべ』には昭和30年頃と記載があるが
アイオン台風による海側の坑門崩壊は昭和23年なので、この写真はそれ以前の撮影と推定される。

3枚目はまさに決定打!磯浜トンネルから石部トンネル方向、海岸と護岸堤、鉄道道路?それに山の中腹に民家と
脇を通る県道(静岡-川崎線:現在の国道150号線)”川崎”は榛原の事)が見事に撮影されている!この県道は土砂
崩れで不通になることが多かったという、後ろに県道に続く石部の洞門が、、遠くに日本平も見えるている・・・
このお宅は当時は割烹旅館を・・現在は同じ位置でレストラン&喫茶店を営んでおられます :後にそうとは知らずに偶然
訪問して・・・ 謎が一気に解ける事になる!とは・・つゆ知らず・・・
 
貴重なカラー写真! それまでカラーの定番?彩色写真ではありません! 所蔵されている方のお話では、リバーサル
フィルムで撮ったそうで、この時期では大変難しい技だったそうです、写真機は流行の二眼レフかな? 腕に自信あり!
は明らかに当時のハイアマチュア写真家の撮影です!

(写真集 『やきつべ』より:鉄道敷の道路:昭和29年7月 鎌田茂氏蔵)
4枚目は証拠写真? 昭和23年9月15日のアイオン台風で崩壊、傾いた石部トンネル海側の坑門です! 割れて滑り
落ちてはいるが、この時点では海岸までは落ちてはいません! この状態で一旦は落ち着いた様です、また坑門周囲に
杭柵があるのが見えます、崩壊前の黒い杭柵(枕木?)と崩壊後の新しい杭柵が見えますね、崩壊前から通行止めだっ
た証拠かな? 撮影年月は不明? 崩壊面の石垣が洗われていない点から見て、崩壊直後の撮影か?

(写真集 『やきつべ』より:崩落した東海道本線の旧トンネル:撮影年不明 八木秀也氏蔵)
同じ場所の現在の姿です!海岸の浸食によって、足元をすくわれ・ 転がり落ちて更に2つに割れた坑門! 崩落の経緯
が良く分りますね!もはや無用の坑門は何が起きてもNewsネタにされず、、気が付いたらこの姿!!なんとも無残な
お姿です!

坑門部分は赤レンガのチューブ状になっていて、背後にもう1段、強固な石垣のバッフルが作られています・・この石垣は
しっかり下の岩盤?まで達していて、この場所の地盤がらみの建設の難しさを物語るのかもしれませんね?波打ち際から
の距離にも注目!すぐそばまで波が来てる!


実は写真を入手したあと・・石部トンネルと磯浜トンネルの間の空間を、どうしてもこの眼で見たくて居てもたってもいられず
切り立った崖の斜面を這い回って現地へ降りる道を探索!・・ 
結局見つからず、疲れはてて汗だくで立ち寄った崖の上の喫茶店!ご主人に訳を話して、上の写真を見てもらったら・・・

あれっ! この家は・・うちだよっ? ありゃー、なんとあの写真に写っていたお宅にたどり着いていた!全くの偶然です、
これには、両方ともびっくり!ご家族までお出ましで、たちまち昔話を! 謎はすぐに・スラスラ、あっさり解けてしまった! 

ご主人に海岸へ降りる獣道を教わって、現地へ入ってまたまたびっくり! 石部トンネルの坑門だけでなく、線路や道路
が通っていた線路敷の平地までが、完全に侵食されて、海岸沿いに続いていた護岸堤の石垣の残骸が浜辺に散乱して
いる・・なんと無残な! 唖然としてしばし静観!


残った下り線の坑門を下から見上げると、これまた哀れ、なんともいたわしく無残なこと言葉もない!! これが・・ 
かって東西の大動脈!文明開化のあの時代をになった、東海道本線のトンネルのなれの果てとは・・ いくつの人生、
どれだけの貨物がここを行きかったことだろうか?・・ あまりにも残酷なお話じゃありませんか?・・勿体無い事です!


前編では海上橋側から遠くの現地を見ましたが、今回は逆に現地から海上橋を見ると・・ 一面に崩壊、浸食が進んで
いる事が分ります、崖の上の国道150号線は・・ 大丈夫かなー、、

反対方向の磯浜トンネル側を見ると・・・ 汽車が走っていた平らな土地が磯浜トンネルの坑門横あたりまで(巾100mx
800m位)続いていたはずなのに! 海岸沿いに続いていた、護岸堤の石垣の残骸が浜辺に散乱している、護岸の改修
をして欲しかったなー、私有地にしてしまったので手が入れ難いのかな? ここもなんとも・・無残な事!

磯浜トンネル2つの坑門はこの上の方になる、石部トンネルのそれよりずっと山側へ入っていて残っている護岸堤の向こう
側の上?なのですが・・・ 今は埋められてなくなったと聞いて、いささかがっかり! きっと現存していると思って来て
見たので・・・ でもこちらには赤レンガの残骸はない! 
磯浜トンネルの坑門は崩壊してはいないぞ! 発掘される日がくるといいけどなー!

ここが磯浜トンネル坑門のあった場所です、上の写真の護岸堤の山側です、手前に見える線路で出来た柵までが線路敷
だったところ・・ここを右方向にカーブしながら汽車が通っていて? その先に2つの坑門が待っていた・・・ 
と想像するしか手だてがない!

なぜかここだけが私有地になってしまって、しっかり埋め立てられてしまって、坑門はこのあたりの地中に眠っているの
かなー? しかし少し坑門より奥のトンネルの部分は、ずっと先で現役の石部トンネルと合流しているはずなのだが?
いずれにせよ行方不明?・・・ とても残念です、


前編にある危険な海上ルートでなく、崖を降りる獣道?を伝って、崩落現場に降りることに成功 したものの!なんとまあ
あまりにも無残な現地の実態を見てしまったので・・本編の謎解きとは、直接関係がないのですが・・・

話のターゲット、旧石部トンネルの坑門関連の「特記情報」!として護岸堤等、海岸線の崩壊状態の実態や写真をUPして
おきます。

なお、このページの著作権はページ管理者に帰属します、よって写真を含む一切の転載や、直リンクを堅くお断り致します
ご承知下さい。

但し2枚目~5枚目まで4枚の写真は、表記の通り、焼津市の市史写真集『やきつべ』からの写真です、著作権は各々の
所蔵者殿に帰属し『やきつべ』の編さん/発行元である焼津市「市史編さん室」殿の管理下にあります、

もちろん当ページでは「市史編さん室」殿、並びに各々の写真の「所蔵者」殿の承諾を頂いて掲載しています。

※最後になって恐縮ですが、お忙しい中で数々の貴重な情報を頂いた焼津市「市史編さん室」の皆様に、この場を借りて、
厚く御礼申し上げます、ご協力をありがとうございました。

また、「市史編さん室」編さん/発行による焼津市「市制五十周年記念写真集」『やきつべ』を、本編の有力な参考文献と
して活用させて頂けた事を、重ねて感謝致します。

ご興味の向きは本件の総集編&関連情報&として本家HPWhat's newこちら《街道で出会ったトンネル達》及び
《大崩れあのトンネルは今》 最近の崩落.. 《大崩れのあのトンネルが崩壊》 などをご覧くださいませ(^^ゞ
内容は相互に.. かなり重複していますが.. 直行して、時期や視点など、見方を変えて参考にして頂けければ幸いです

という事で..あの時期に どのようにして磯浜トンネル通過できたのか? 謎は解けました(^^♪ 残念ながら磯浜トンネル
石部側 坑門とその周辺は.. 産廃処理業者によって埋め立てられてしまった.. との事で 見る事はかないませんでした。


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